『資本論』・『クイックリー夫人』・『妙義山』

以前に、当ホームページの「レポート」で紹介させていただいた、「江木山荘文集」の第二号が5月10日に発刊されました。大変残念なことに、「江木山荘」と名づけられた高齢者の有志が集い、「熱く、自由に語る」庵を提供され、群馬の教育運動と全国の平和運動でも大きな役割をはたしてこられた菊地定則先生が去る4月11日急逝されました。
しかし、のこされたメンバーで鳩首協議し、個人の熱い意志を継承して、同じ名称で発刊してゆくことになり、このほど無事第二号の製本がおわった「文集」手にして、「弔文 菊地先生のご逝去を悼み」という嶋田誠三さんの追悼文を読んで「あー、もっと先生と話したかった」と改めて感慨込み上げるものがありました。まさに「巨星堕つ」です。
私は、今号では前号の「『資本論』と格闘すると長生きする、という言葉に誘われて」の第二弾として「クイックリー夫人(シェイクスピア『ヘンリー四世』に登場)に関する考察の前編を投稿させて頂きました。「レポート」のページにPDFで配置いたしましたので、御笑読くださればありがたい限りです。

文集2

下の写真は「上毛三山」のひとつ妙義山です。この山は1950年に始まった朝鮮戦争の時期、その姿が朝鮮の金剛山に似ているところから米軍によって演習基地にされようとしました。群馬県内では地元はもとより全県で反対運動がもりあがり(その運動の中心の一人になったのが当時高教組の委員長だった菊地定則先生でした。)長く厳しい戦いののち米軍が断念し、今の平和でその美しさを楽しむことのできる山となったわけです。実は、昨年末に菊地先生にお会いした際「妙義基地闘争」の話題が出て、押れの中から雨にぬれて表紙がぼろぼろになった「基地はいらない」というタイトルの冊子を取り出し、「もう、この一部しか無いんだよ」「復刻できればうれしいのだが」と私に手渡されました。「その冊子」は、若き日の菊地先生がまとめた「妙義基地闘争」の記録で、印刷の質はあまりよくないものですが、非常に貴重な写真資料でもありました。私は、「復刻出版はむつかしいですけど、PDFによる電子書籍化だったら出来るのではないか」とお返事して、その冊子をお預りすることになりました。
今考えると菊地先生の遺言のようです。

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