『資本論』というタイトルは、、、

 

 

『資本論』という訳は誰が考えたのか


インターネットの「翻訳サイト」を使って、「独⇒日」で[
Das Kapital]と入力したら、
なんと「大文字」とでました。
なんということでしょう!
コンピュータでも難しい(?)翻訳を、
いったい誰が『資本論』などと訳したのでしょうか!?

1920年10月(大正9年)に発刊された「京都帝国大学経済学会 経済総論」第11巻第4号において、「貧乏物語」(青空文庫で全文読むことができます)で有名な 河上肇博士は次のように書いています。

「三種の『資本論』邦譯   河上肇
只今我國にはマルクスの『資本』を全譯せんとする三種の計画が在って、既に各其々の第一巻を公にしてゐる。原本の標題はDas Kapitalであるのに、三種の譯本とも「論」を附加して「資本論』と爲すことに一致してゐるのは、少し不思議の感じがする。」

これを読んでも、なぜ皆が皆『論』を付けたのかということは解らないですね。
しかし、理由はとにかく、現代の我々にも、「資本」というタイトルより「資本論」という方がはるかに格調が高く聞こえませんか。
格調が高い分、なんか難しい感じはしますが、、、、

河上博士はこの解説の中で「日本で初めて『資本論』を翻訳した人」を一人とせず「三種の資本論」として、同時期の数人を同等に扱い内容を詳細に検討、紹介しています。

「第一、は、商學博士松浦要氏の獨力計画に成るもので.、『全譯資本論』と題し、大正八年九月に其の『第一冊』が公にされた。収むる所は、第一巻第一篇の第一章より第三章に至るまである」
「第二、生田長江氏の同じく独力計画に成るもので、『資本論』と題し、大正八年十一月に其の『第一分冊』が公にされた。収むる所は、第一巻第一篇の第一章より第三章まで、及び同じく第二篇の第四章である。」
「第三は、高畠、左右田、坂西、高橋、寺尾、大塚、金子、幅田の八氏が分担して譯筆を執るといふ計画のもので、輻田榑士が其れに校註を加へらる、筈になってゐる、之は『マルクス全集』.の第一期の事業に属するもので、近頃公にされたのは、『資本論』の『第一巻第一冊』である。其の刊行は最も後れて、大正九年の六月になってゐる。収むる所は、第一巻の第一、第二篇、及び第三篇の三篇で、合計九章に及んでゐる。さうして此の部分は、翻譯分担者の一人なる高畠氏専ら筆を執って居られる。此等三種の鐸書の中、第一冊の刊行の早いのは、松浦第一、生田第二、高畠第一二の順序になってゐるが、その代り、松浦氏のは第一巻の第一篇だけ、生田氏のは第一巻の第一篇及び第二篇、高畠氏のは同じく第一巻の第一.篇、第二篇、及び第三篇ご云ふやうに、後れて出たものほど翻譯の分量は多くなってゐる。」

河上博士はこの紹介に続いて、それぞれの翻訳の質について書いていますが、それを読むと、いかに先人たちが翻訳に苦労したかがわかり、またその挑戦的な翻訳は「未熟」というよりは、「みずみずしい」感さえあります。ところで、この文章に出てくる「高畠素之」という人は、実は群馬県高崎市柳川町に住んで英語塾をやっていた方なのだそうです。
Wikipediaの記事
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%95%A0%E7%B4%A0%E4%B9%8B

 

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